interview

[ヨルゴス・ランティモス監督 インタビュー]  どの家庭にもそれぞれのルールがあるのです

社会と断絶したこの家族の物語は、どこから着想を? どうしてこの主題に興味を持ったのでしょう。

「はじめから機能不全の家族を描こうと思っていたわけではないんです。単に、一般的な意味での家庭生活や子供の教育について、そしてそれが今後どう変わっていくかについて思いを巡らせていました。そんなある日、友人との会話の中で、みんなどうせ離婚してしまうのに、なぜ結婚して子供をもうけるのか、とからかったんです。だって最近では離婚するカップルが多く、片親に育てられる子供が多いのに結婚する意味なんてあるのかと。そうしたら、明らかに軽いジョークだというのに、みんな僕のことを怒りました。よく知っている友人が、家族の話題となるとそんなにムキになるなんて!それがきっかけで、自分の家族を極端に守ろうとする男、というアイディアが芽生えたのです。外界からの影響が一切なく自分の家族だけで永遠に一体となっていこうとする男。それが子育ての最高の形とかたくなに信じる男です。」

しかし子供たちにあんなナンセンスを教え込むなんて、あまりに残酷なゲームです。

「しかしこの父親は子供たちを心底思いやっています。少なくともそう信じている。だから育つのに最高の環境を与えているのです。プール付きの広大な庭を備えた豪邸ですよ。ただ同時に、都市伝説や恐怖の対象をねつ造もしています。外に出ようなどという考えを抱かせないためにね。子供たちが生まれた瞬間からその2つを実行できたからこそ、親が子供に取ってどれほど大きな影響力を持つのか、自分たちの思うとおりの世界だけを見せられるということを際立たせているのです。」

彼ら夫婦がどうしてそんな子育てをしようと決意したのか、その背景を全く描かないことも興味深いですね。

「ええ、その点は私にとってとても重要でした。でなければ全く違う映画になっていたでしょうね。観客が夫婦の背景を知っていたら、彼らの行為が良いか悪いかという目で見てしまったのではないでしょうか。私が描きたかったのは、人の心を操作しようとすること、自分の意のままに何かを信じ込ませようとすることが、相手をどこまで極端に走らせてしまうかということです。とても危険なことですよ。この映画を見て、皆さんには我が身を振り返ってみて欲しいです。だってこの映画の段階では、明らかに手遅れです。遅かれ早かれ爆発していたでしょう。 」

クリスティーナが入ってきたことですべてが変わりますよね。

「そのとおりです。ただ、彼女の重要性はどちらかと言えば、子供たちに対して優位に立とうという誘惑にかられるという点です。たとえば長女に対して、「アレしてくれたらコレあげる」と取引を始めますね。子供たちに仕掛けるパワー・ゲームです。弱者の上に立とうとする誘惑を彼女を通じて描きました。私自身、あれほど未成熟な誰かに出会ったらきっと同じ誘惑にかられると思う。そうじゃありませんか?」

父親にとっては長男が溺愛の対象なのに、2人の娘の方が利口で強いですね。

「実際、女性の方が男性よりも強いですよ。賢いのは女性です(笑)。しかし男の子の方が性的欲求が強いとみなされていて、女の子より多くの課題を課せられる。両親も、姉妹には性教育の必要を感じていませんし、より保守的に育てています。彼女らの性生活なんて考えもしない。でも両親は長男がセックスしていることを誇らしく感じています。少なくともギリシャでは一般的な考え方ですね。古臭い考えですが、よその国にも残っているのではないでしょうか。」

映画のためにリサーチはしましたか?

「まったくしませんでした。とてもシュルレアルな物語ですからね。そしてリハーサルの最中に、オーストリアのあの事件が起きました(娘を24年間地下室に監禁し、7人の子供を産ませたジョセフ・フリッツェル事件)。その時でさえも、この映画は全く違うと感じました。トーンが違いますよ、あの事件はあまりにダークで恐ろしかった。」

映像のスタイルは最初から決めていたんですか?

「脚本を書いたりキャスティングしている最中に映画の見かけを決めることはありません。リハーサルの時に初めて考えます。そこでアイディアが浮かぶんです。個人的な映画作りの哲学ですね。撮影方法や演じ方にあまりにとらわれすぎると、嘘っぽくなると考えています。俳優にも、そして観客にも、特定の感情を押しつけたくない。映画は、自分なりの方法で見てもらえるよう、余地を残しておきたいですね。ですから結論を示し過ぎないようにして、皆さんにはスクリーンで起きていることに自由に反応してもらえたら。啓蒙的な映画にはしたくありません。」

ハネケ、キューブリック、ヘルツォ-クを引き合いにされることが多いですね。

「映画はたくさん見てきました。その3人は好きな監督ですが、私が最も敬愛する監督は2人。ブレッソンとカサヴェテスです。彼らの映画は繰り返し見ますし、見るたびに画面に釘付けになって「いったいどうしたらこんな映画を…」とつぶやいてしまいます。ふたりには畏敬の念を抱いていますが、「わかる」などとは思いません。だから好きなんでしょうね。」

この映画に、自伝的要素はありますか?

「まさか、むしろ正反対ですよ。幼いころに両親が離婚して母親に育てられたのですが、母は私が17歳の時に死にました。ですから私は若くして天涯孤独の身で世の中に出て、ひとりで生活して勉強してきました。ですから、この映画の物語や登場人物を、まったく異なる視点から見ています。とはいえ、自分がもし親だったらどうするかはわかりません。現代社会の中でどんな子育てをしたいかと問われれば、子供には自由でいて欲しい、外界とはできるだけ触れ合って欲しい、それから、なるべく多様な事物と関わる機会が持てるように、都会で暮らしたいと思いますね。ただ、来年同じことを聞かれたらどうでしょうね。郊外の素敵なプールつきの家に住んでいたりして…。自分にはどんな人生が手に入れられるのかわかりません。心って自分を欺くことがありますものね(笑)。」

ハリウッドからも監督オファーが来そうですね?

「挑戦してみようかな? そしたらギリシャに戻ってもっと個人的な作品が撮れるだろうから(笑)。」
(Electric Sheep Magazine、Time Out Londonより抄訳)